2008.3.25荒川つねお議員

 私は、陳情第12号後期高齢者医療制度の中止・撤回を求める意見書の提出を求める陳情について、不採択に反対の立場から討論を行います。
 後期高齢者医療制度の実施が目前に迫っていますが、地方議会での制度の中止・撤回・見直しを求める意見書の可決はさらに広がり、県内でも日光市がこの3月議会で採択を行っています。岐阜県の大垣市では、自民党の会派が「後期高齢者医療制度に断固反対。国に対し制度の廃止を強力に要望してまいります」との会報を市民に配っています。党派の違いを超えて制度への怒りが広がっていることをあらわしています。
 75歳という特定の年齢に達したら別枠の医療保険に囲い込み、負担増と給付を減らすことを強いるような制度は世界にも例がありません。年齢を重ねたことをもって、高齢者だけを切り離して肩身の狭い思いをさせるような社会、医療を受けることをためらわせるような社会、日本をこんな社会にしてしまっていいのか。私はまずこのことを議員の皆さんに、市民の皆さんに訴えます。
 この制度の実施で起きることは極めて理不尽です。例えば75歳の夫と68歳の妻が子の健康保険の扶養家族になっているケースでは、おじいさんだけが健康保険の資格を奪われて後期高齢者医療制度に追いやられます。また、70歳の妻と77歳の夫の2人暮らしで、夫が元気に働き、健康保険に加入し、妻はその扶養家族の場合は、夫婦ともに健康保険の資格を失い、夫は後期高齢者医療へ、妻は国民健康保険に加入させられます。これまでの医療保険は年齢に関係なしに加入できたのに、新たな制度では75歳で全員脱退させることになります。まさに、家族一緒に暮らしていた母屋から、75歳を過ぎた人だけ離れに移すようなやり方であります。75歳以上の高齢者らを対象にした現行の老人保健制度は、現役と同じ保険に加入したままで財政を調整する仕組みです。独立した別枠の制度に押し込める後期高齢者医療制度とは全く違います。
 こんな制度をつくる理由について舛添厚生労働相は、75歳以上の高齢者は「若者や壮年とは違う心身の特性があり、医療費を維持可能な制度にする必要があるからだ」と答弁しました。しかし、特性は別枠の差別制度にする理由にはなりません。特性を言うならば、子供には子供の、女性には女性の、男性には男性の特性があります。今の制度で特性に合った医療を保障すればいい話です。
 加えて問題なのは、政府の後期高齢者の特性のとらえ方です。舛添厚生労働大臣によると、1.治療が長期化し、複数の疾患がある。2.多くの高齢者が認知症。3.いずれ避けることのできない死を迎えるというものです。しかし、そう決めつけるのはいかがでしょうか。市内でも一口に75歳と言ってもいろんな方がいます。元気に働いている方もたくさんいます。町内会長とか、老人クラブの会長も後期高齢者の方がたくさんおられます。趣味やボランティアとして元気に活躍している人も少なくありません。人生の達人から学ぶこともたくさんあります。それなのに75歳以上を、手間もお金もかかる、いずれ死が避けられないなど、一まとめに決めつけることなどとても許せないと思いますが、議員の皆さん、どうでしょうか。
 そして、この制度は75歳以上の高齢者の医療差別を行おうとしています。医療機関に支払われる診療報酬を別体系、包括払い(定額制)にして、どんなに検査や処置をしても診療報酬がふえないので、必要な検査や処置が減らされる可能性があります。また、外来では、慢性的病気の通院患者について高齢者担当医という制度を新設して、医療機関を1カ所に限定し、複数の医療機関を受診することを制限します。
 また、後期高齢者医療制度に伴って新しくできる特定健診・特定保健指導は、対象年齢を40歳から70歳までに限定し、75歳以上は、法律上の実施義務の対象から外してしまいます。また、終末期医療については、4月からの診療報酬改定で後期高齢者の終末期相談支援料が新たに設けられます。尊厳ある死を迎えたいという願いは年齢とは関係ありません。なのに75歳以上だけを対象にして、お金で誘導してしまおうとしています。結局、75歳以上の方は、終末期も全力で治療しなくてもいいですよ、もう健康に気をつけなくてもいいですよ、余りお金をかけることはしないでくれ、こういうことになるのではないでしょうか。
 舛添厚生労働大臣は、「75歳以上は、生活習慣病の改善は、健診をやっても予防効果が疑わしい。本人の残存能力、残された能力をいかにするかだ」と述べました。人生最後まで花開かせようと頑張っているのに、残存能力の一言で片づける、ここに後期高齢者医療制度に対する厚生労働省の考え方がはっきり出ています。後期とか残存能力とか終末期とか、政府の呼び方は死を待つための年齢のように聞こえてきます。まさに非情で、75歳以上の高齢者を侮辱する響きがしみついていると、こう思うのは決して私だけではないと思います。
 政府の立てた医療費削減の見通しによると、2015年には3兆円、そのうち後期高齢者分で2兆円、2025年には8兆円で、そのうちの後期高齢者分は5兆円に達します。この数字を見れば、75歳以上の高齢者をねらい撃ちにしていることは明白です。
 暮らしが苦しいからと、まず、年寄りの暮らしから削ろう、こんな家庭は宇都宮市には一つもないはずです。福田首相も、国会答弁でこの制度に問題があることを認めています。大きな矛盾があるからこそ、政府も部分的であれ、凍結措置をとらざるを得ませんでした。しかし、凍結はやがて解凍されます。お金がかかると高齢者の命をおろそかにする後期高齢者医療制度は、中止・撤回・見直しをすべきの陳情は、まさに圧倒的な市民の願いに沿ったものではないでしょうか。
 この間、共産党のもとに次々とこの制度への怒りの声が届いています。「日本は高齢者をみんなで祝う社会だった。高齢者を大切にしてきた社会を、逆に粗末に扱う社会にしていいのか。戦争で命を捨てよと言われ、今また命を捨てよと言われなければならないのか」「今まで一生懸命働いて子供を育ててきた。年をとって保険料を負担しなくてよい扶養になるのは当然だ。私は病気にならないように頑張ってきた。税金も払ってきた。ひどい仕打ちだ」また、「私もこの4月に75歳になるので、この制度は心配だ。要するに早く死ねということじゃないのか」「私は今、78歳ですが、元気にしています。75歳以上は覚悟しろということか。終末期なんて冗談じゃないですよ」「年金から保険料が天引きされるなんてとんでもない。私のわずかばかりの年金をせびって勝手に取るなんて。電気代、水道代、断りなく通帳から取るなんてしませんよ。これは国の振り込め詐欺じゃなくて振り落とし詐欺ですよ」そして、団塊の世代真っただ中の人からは、「要は団塊の世代対策であり、悲しく思います。この世に生を受け、高度成長時代を築き上げ、維持し、現役時代は競争に明け暮れ、老後に待っている社会は、社会保障予算削減の矢面に立たされる。団塊の世代の人生って一体何だったのか。後期高齢者医療制度の向こう側には墓場しか見えない」。
 議員の皆さん、こんな長寿を喜べぬ社会はいいはずがありません。後期高齢者医療制度をつくるというならば、「75歳まで長生きしておめでとうございます。きょうからは医療は心配いりません。いつまでも元気に頑張ってください」これが政治というものではないでしょうか。
 これだけ大問題のある後期高齢者医療制度について、宇都宮の市議会が一言も国に物言わず、見切り発車を認めてしまって議員の皆さんは本当にいいんでしょうか。まだあと6日と12時間、今年度は残っております。この陳情を採択して、国にしっかりと意見書を提出しようではありませんか。議員各位の御賛同を心よりお願いいたしまして、討論を終ります。